入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

安行・新郷地域の変遷-4

江戸時代から進められていた開発は、見沼代用水東縁の開設と新田開発がその代表です、見沼代用水東縁②は鳩ヶ谷市から新郷地区赤井③に入り南東に向かい、東本郷④で南に向きを変え毛長川に合流しています、また、途中の蓮沼⑤で辰井掘に分流します

新田開発は近世から主として安行地区の低地を対象として行われました、明治期の6-1図を見ると安行地区の東部一面に水田が広がっており、その中に藤八新田⑥・吉蔵新田⑦・源左衛門新田・長蔵新田⑧(地図の長造は誤植)などの地名が読み取れます

明治期の土地利用は基本的には台地上に畑、低地に田ですが、さらに次のような事も判ります、まず、湿田の分布は見沼代用水を境に西側と、安行地区の新田に多く分布しています、近世に入って新田開発の行われた所はもともと土地条件の悪かった湿地で、米の増産のために新たに開発の対象にされたことが判ります

関東大震災の時「深田の稲は5寸や1尺も泥水の中に没し、水に浸りて稲穂だけ水面に上がり一見湖のごとし」(川口市史)と記録されており、大きな被害が出ました

興味深いのは畑の分布です、大宮台地上は水利の便から畑地なのは当然ですが、それとは別に江戸袋⑨・東本郷村大字高畑⑩・蓮沼村⑤・榛松村⑪と6-1図中に記された文字の下側に沿って畑地が連なっていることです、水はけの良い毛長川①に沿った自然堤防上が畑として利用され、同時に榛松や蓮沼などの集落も自然堤防上に立地していることです

見沼代用水東縁に沿った地域や安行地区東部は一面に水田が広がり、台地上は雑木林が茂り、土地の自然条件に調和した伝統的な風景が広がっていたのでしょう