入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

安行・新郷地域の変遷-5

安行という地名は、その開発者である中田安斉入道安行の名に由来していると云われます、また、新郷という地名の由来は1889年(明治22年)の合併のとき、最大の村であった東本郷村の郷の字を取り、新たに発足する村の意味から新の字を冠しました、6-1図には、安行村、新郷村の成立以前、各集落それぞれが独立した村であったことが示されており、6-2図になると安行村⑫、新郷村⑬の名称が読み取れます

その後、新郷村は1940年(昭和15年)4月1日、安行村は1956年(昭和31年)4月1日、それぞれ川口市と合併しました、また、翌年(1957年)旧安行村の東端の一部の地域は分離し、草加市と合併しました、そして、旧安行村、旧新郷村の村役場のあった所が、現在の安行支所⑭、新郷支所⑮となっています、大字名は基本的には明治期の村の名称を踏襲しています

なお、その前の江戸時代では、徳川幕府にとってこの地は重要な場所でした、安行地区の赤山⑯に1629年(寛永6年)、大宮台地や鳩ヶ谷支台、およびその周辺の低地の開発にあたった関東郡代伊奈氏7000石の陣屋が建てられました、当時の陣屋は東西160m、南北200mの敷地で周囲は掘か土塁で囲まれていました、現在の敷地跡は掘と土塁がわずかに残るだけで、雑木林や植木畑となっています