入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

安行・新郷地域の変遷-6

安行は植木業の集中する地区として全国的にも有名です、地図上で樹木畑として表示されている所は安行地区に限れば、ほぼ全てが植木畑と考えてよいでしょう、安行地区の植木生産は大字安行・領家⑰・慈林⑱・原⑲・吉岡⑳・藤八⑥あたりが中心となっています

ただし、一般的に植木業の集積地として使われている時の”安行”は、植木生産地域全般を指すため、本来の安行地区よりはるかに広い範囲を指します、たとえば新郷地区の大字前野宿(21)・東貝塚(22)・赤井や神根地区、戸塚地区などの大宮台地上でも安行地区と同様に植木生産が盛んです

安行の植木栽培の始まりは、吉田権之丞(ごんのじょう)によるものと云われています、権之丞は草花の収集を趣味としていました、1657年(明暦3年)、江戸の明暦大火(通称・振袖大火)により江戸で庭木が不足したため、権之丞が収集した草花を江戸で売ったところ高い値で売れたことが契機と言われていますが詳細は不明です、ともかく江戸時代には江戸郊外の染井や駒込の庭師に対して庭木の供給が始められました

安行の植木業発展の理由として、土地条件に恵まれていたことがあります、北部は台地、南部には低湿地が広がっているため、土中の水分状態に地域差が見られたこと、台地の開折が進み、斜面さまざまな方向に発達しているため、日照や通風条件なども多様であったこと、さらに台地を覆う関東ローム層は通気性や排水に優れていました

栽培技術の水準が低く、自然環境により強く支配されいた当時においては、栽培環境が多様性に富んでいたことが多様な種類の植木の生産を可能にしたのでしょう