入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

イメージ 2

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

鳩ヶ谷地域の変遷-5

鳩ヶ谷の市域を通る幹線道の日光御成道⑮は、鎌倉時代には奥州と鎌倉とを結ぶ鎌倉街道中道として重要な道路でした、このほか、7-1図からわかるように見沼代用水にかかる吹上橋から南へ200mほど来たところで交差する道(砂川通)がかつての千住道・浦和道⑯といわれた道路であり、東京と県都を結んでいました、また、安行・草加へ向かう草加道は出戸町を通っていました

これらの中でも近世以降の日光御成道は特別の意味を持っていました、その成立は江戸幕府の将軍による日光社参が始められてからであり、1622年(元和8年)徳川秀忠が始めてこの道を利用し、家光のころ通行路として整備されました、江戸を出て3番目の宿が鳩ヶ谷でした、岩淵宿・川口宿を過ぎ、中居・小淵・辻村を通って鳩ヶ谷宿に入りました

1960年(昭和30年)代の写真を見ると変電所のある辺りは道路の両側に松並木があり、商家が並ぶ町並みも当時の面影をうかがうことができます、現在の鳩ヶ谷市内の御成道の道筋に改められたのは元禄期(1688から1704年)と考えられ、このころ新しい宿場が成立しました

宿の町並みは南北4町20間(約480m)あり、上宿・中宿・下宿に分かれ、中宿(本町2丁目のバス停前)に市場を守る市神社⑰がありました、ここでは毎月3と8の付く日に市がたち、米・雑穀・青物など主に農産物が近在の村々から運ばれ売買されました

こうして鳩ヶ谷宿は物資の集散地として発展しましたが、明治初期には商業の中心が他地域へ移り、市は次第に衰退していきました、この頃の三・八市は「ボロ市」とも呼ばれ、東京などからも古着屋や古道具屋が多く店を出し、12月8日と4月8日の市は特に賑やかでした、昭和戦前期には種物市が盛んで、野菜などの苗や種が売買されました、市は1950年(昭和25年)代後半ころ姿を消し、現在では12月に「おかめ市」(酉の市)が行われています