入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

鳩ヶ谷地域の変遷-6

1904年(明治37年)の『埼玉県営業便覧』を見ると、鳩ヶ谷は全体で114軒の商店が軒を連ねていました、このうち織物買継商、米穀肥料商、荒物・小間物商が全体の3分の1を占めています、また機具販売関係の業もありました、織物買継商の多くは、東京の糸問屋から糸を買って、里や辻だけでなく、蕨や前川(川口市)などの機屋で綿製品を織り、東京の問屋へ卸していました

こうした鳩ヶ谷の商業の発展は、明治中・後期を頂点としていますが、商業戸数、人口とも浦和を上回り、北足立郡で最も多く、人口の面でもはっきりとそのことを示しています

しかし、明治末期以降、鳩ヶ谷の商業は停滞し、1931年(昭和6年)には農業戸数を下回り、公務・自由業や有業者(勤労者)の比率が増加し、東京のベットタウンとしての性格が次第に強くなっていきました、一方、台地での主な産業として植木や苗木を扱う植木業者は鳩ヶ谷から川口の安行地域一帯に広がり、明治初期に数十戸でしたが、1920年代(大正末期~昭和初期)には千数百軒に増えています