入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

横曽根・青木地域の変遷ー9

江戸中期に創設された芝川の見沼通船は、流域の人々から「お救い船」と呼ばれるほど、江戸・武蔵を結ぶ重要な水運でした、幕府瓦解後はしばらく絶えていましたが、1874年(明治7年)に見沼通船会社が発足し、1908年(明治41年)には年間2万艘近くの船が芝川を上下したと言われます

川口宿は市兵衛河岸が会所となり、青木地域では五右衛門橋(26)・天神橋(27)に荷揚所が設けられていました、しかし、この水運にとって代わって交通機関の雄となったのが、日本鉄道の鉄道運輸でした、そして1907年には川口駅も開設されました

1923年(大正12年)、横曽根村二ッ木に日本ビール鉱泉株式会社東京工場(28)が進出したのも、この駅開設が主な要因でした、もちろん醸造に必要の要件といわれる豊富で純良な地下水がこの辺あったことにもよります(そのころ浦和水脈といわれる豊富で純良な地下水があった)

この工場の進出は、一望の田んぼとハンの木群の中に立った巨大な近代的建物によって、農民らの目をみはらせ、また中世武士のかぶった烏帽子型兜そっくりの通称「ビール会社のかぶと」という精麦用排風機の奇妙な建造物のもの珍しさも手伝って、田園風景に新しい景物を添えました