入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

横曽根・青木地域の変遷ー10

日露戦争時の軍需生産に活況を呈した川口鋳物業界は、第1次世界大戦による好況にも支えられて、工場の増設が相次ぎ、宅地需要を著しく増大させました、1924年(大正13年)に始まった川口の耕地整理もその需要に応えようとしたものでした、1927年(昭和2年)に横曽根村で、昭和7年に青木村で第一耕地整理が開始されたのも、市街化への対応に備えたものと云えます

横曽根村の耕地整理は開始早々から当時世界を覆った不況に見舞われて、大変な困難を経験せねばなりませんでしたが、それでも整理に伴い川口町境近くからぼつぼつと鋳物工場などが村内に進出をはじめました

青木地域では下青木地区で、さきに新設された県道中央道路を基幹として道路網が整えられていきました、整理に着手して間もなく満州事変が勃発し、再び川口町は景気を取り戻し、鋳物・機械工場、住宅などが続々として進出してきました

加えて、1933年(昭和8年)の川口市制施行に伴う行政機関が次々と青木地域に設けられ、急速に農村から街への変貌をたどっていったのです、2-2図と2-3図を比べてみると、川口地域をはじめ横曽根青木村(下青木村)の道路が網の目のように整えられていっているのが判ります