入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

横曽根・青木地域の変遷ー11

1928年(昭和3年)に荒川大橋が架けられ、1932年には戸田橋が鉄筋コンクリート橋に改築され、また同年東北線赤羽・大宮の鉄道が電化されて、いっそう陸上交通が整いました、また、昭和初期から川口駅発の「銀バス」と愛称された路線バスも各方面へ運行されました、横曽根にも戸田・笹目行き銀バス路線が地域のまん中の道を走って足の助けとなり、市近代化への端緒を開いていきました

また、横曽根地域では1933年(昭和8年)、燃料研究所の北隣に床面積600平方m余、ダンサー200名近くを擁するダンスホール=川口会館も開かれ、首都方面の紳士淑女の来場でにぎやかとなり、飯塚地区先の荒川河川敷にはゴルフ場(31)も開かれ、この地区にいっそう華やか気配を添えていきました

こうして、近代化の波をもろに受けて膨張した川口町は、横曽根地域住民の主導によって1933年4月、川口市として発足しました、1935年(昭和10年)には川口市役所が青木町1丁目に新設され、その前年には川口実科高等女学院が市役所敷地北方の地に、次いで1937年には上青木に県立川口工業学校ができて、青木地区は川口市の行政・教育・文化機関の中核地域を形づくっていきました、この年には、さらに、上青木地区の広大な水田を埋め立ててNHK川口放送局が開所し、当時高さ日本一といわれた310mの大鉄塔が立てられました