2012-04-11 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史 横曽根・青木地域の変遷ー12 上青木地区282ヘクタールの区画整理事業が発足したのは1939年(昭和14年)のことでした、当初、産業都市川口の中核地として、地区の真ん中を横切る東西の運河を掘削し、そこに大工場団地を造成する計画でしたが、第2次大戦の勃発により工事は中断されてしまいました、時勢の変化に伴って根本的な事業計画の変更を余儀なくされ、住宅地、住工並存地域として整理されることになりました ところが、この間に農地改革など大きな権利関係の移動があったために、事業計画は大混乱を生じ、この区画整理事業は開始以来38年の長期間を経て、しかも埼玉県の介入援助を待って終息するというきわめて困難な事業でした しかし、この区画整理により、地域の芝川河川敷に広がる雑木林が開発され、芝川公園運動場として整備されました、ところが、これは青木公園建設に伴い1952年(昭和27年)には川口オートレース場(33)に生まれ変わってしまいました、青木公園付近(34)は1957年に現在地に完成を見、翌年には陸上競技場も竣工して、この地域の景観を一変させ、市民の憩いのエリアとなりました また区画整理の進行とともに、上青木地区も首都圏のベットタウン化し、続々と住宅として開発されていったのです、この様相と、地区の著しい変化のあとは2-3図と2-4図を比べて見ることによって知ることができます