入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

横曽根・青木地域の変遷ー7

横曽根地域には先に述べた自然堤防に沿って氷川神社⑮や八幡社、また真言・浄土・日蓮・曹洞各派の寺院が連なり点在しています、いずれも中世末期の創建と伝えられ、この村の創成がうかがわれます、またこれらに沿って鎌倉期以降の青石卒塔婆が点在して、人々の信仰や暮らしのようすを語っています

この地域の村々は江戸時代の始めにはすべて徳川家直轄領(天領)でしたが、飯塚村のみ1706年(宝永3年)に江戸根津権現社領となり幕末に至っています、2-1図・2-2図の時代には、まったくの農村で、ほとんどが水田、その間に畑が点在し、中に茶畑や藍の畑も見られ、深田には季節により、クワイ田・蓮田の深い緑の風景がみられたと言われます

農家はほとんどが茅葺き屋根で、後背にはケヤキ・真竹やぶの防風林を背負い、農閑期には戸毎に機を織る音を響かせ、冬期には豊富な地下水を利用して全農家の3分の1が従事したという漉き返し紙の生産の乾燥風景が随所にみられました

1926年(大正15年)、浮間地区の分離により、旧荒川の「浮間の渡し」⑯はなくなりましたが、渡し船が1933年(昭和8年)ごろまで続いたと云われます、荒川には水運の真帆・片帆の風景が情緒を添え、また大正末期から昭和初期にかけては、30ヘクタール余りの「荒川河畔敷島菖蒲園」⑰(小字の原地区)が開園し、時季には華やかな景観を添えたと言います