入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

横曽根・青木地域の変遷ー8

青木地域にも芝川自然堤防に沿って社寺が連なっています、平安期の仏といわれる大日如来坐像を安置する安楽時(19)、鎌倉初期の六代禅師(平惟盛の嫡男)の伝説をもつ前川観音(20)、鎌倉末期の孔雀文磬(もんけい)を残す光妙寺遺跡(21)、室町期の創立といわれる西方寺(22)・専称寺(23)・竜泉寺(24)、そして氷川神社(25)などと連なって存在し、この自然堤防上の道は歴史の道ともなっています

江戸期以降はすべての村が徳川家直轄領(天領)でしたが、生産性はきわめて低い村々でした、そのために江戸期半ば以降には様々な農閑余業によって農民の暮らしを図らねばなりませんでした、芝川河川敷に蘇生していた竹が切り採られ、晒し竹、つり竿として生産され、青縞・双子織などの機織りが盛んに行われ、鍛冶工具も生産されました

そのため冬期には竹の寒晒し風景、染物の晒し風景が景観を添え、家ごとの機音、槌音の響きも村の景物でした、農家はその周りをケヤキ、竹林で囲んで防風林とし、低湿地なのでいたる所でハンの木が繁り、一望にひらけた田畑の畦にも植えられて、秋には稲架けとして立ち並び、いっそう風景を引きたてていました