2012-03-30 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-22 さらに、伝承を取り上げてみます 昭和41年1月、三左衛門屋敷跡=光明寺付近を詳しく調査したところ、蕨城主一族のものと思われる五輪塔、宝筺印塔各3基の各一部分が寺域内に散在し、しかも断続的ではあるが近くを南北に走る50余mの土塁まで発見したと言われます また、元蕨の北東の辺には、戦いで焼け落ちた焼け橋があった、そして、この橋以南の堀で囲まれた区域が蕨城の区域と思われるとも云われています、この区域には館ノ内=たてのうち(なまって竹ノ内)という地名があり、現在竹内という姓名があるのも何か関係があるのではとも云われます これらの他にも、丹念にあたっていけば、蕨城につながる伝承はあるのだと思われます、いずれにしても何時の時代かは明確ではありませんが、元蕨の地に城(館)があったのだろうと思われます、そして何かの理由で他の場所(たぶん蕨の御殿町)に移っていったと思われます