入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-⑲

南原遺跡付近にあったと思われる「戸田の御所」といわれた渋川氏の居館は、その伝承が少なく、確たる遺構も発見されていませんので、せいぜい10年前後位しかなったではないか、短期間で無くなったのではないかと思われます、その理由を考えますと次のようなものがあります

(1)自然環境の変化 居館のあった処と思われる南原遺跡は中期入間川や上戸田川に近く洪水などの災害を受けやすい所です、大きな災害を受け移転せざるを得なかった

(2)妥協が成立したとはいえ、金子氏一族の力は強く(蕨の本法院付近、現在の蕨消防署の処に拠っていた金子氏も観応の擾乱の後、蕨に定着していたその一族と思われますー保元・平治の乱の時に蕨に定着したとの説は疑問があります)、それに対する対策として、他の所に城(館)を築く必要があった

(3)渋川義行が1387年に40歳で没し、その後の守りを強化するため居城を移した

いずれにしても「戸田の御所」の存在は短期間であったと思われ、元蕨の地へと移ったと思われます