入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

《戸田の遺跡》

◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-20

中世の遺構について

この調査区からは掘り3本を検出しました、第1号掘と第2号掘は並行して構築されており、さらに南方向に伸びるものです、第3号掘は西側の一部分が検出されているにすぎず確かな形態はつかめませんが、さらに東側に広がるようです

各掘の時代を考えます、僅かでありますが検出された遺物から推定して、次のようになります

第1号掘からは古瀬戸の鉢、常滑系の甕、瀬戸美濃系のすり鉢が出土していますので14世紀と思われます

第2号掘からは常滑系の甕、東播系のすり鉢、山茶碗系の甕、片口鉢が出土しています、13世紀後半から14世紀と考えられます、さらに古く11世紀から12世紀に位置付けられる長頸壺、櫛描波状文をもつ甕の破片も出土しています、しかし、下層部である第6層から阿弥陀如来を主尊とする板石塔婆が出土していることから比較的早い時期に埋没したものと思われ中世の遺構と考えられます

第3号掘からは小瀬戸の盤、瓶子、瀬戸美濃系のすり鉢、常滑系の甕、片口鉢、山茶碗系の片口鉢が出土しています、13世紀末から15世紀と考えられます、この他に須恵器の甕、杯、須恵質のすり鉢、甕が出土していますが、製作年代、生産地等は小片のため不明です

総体的にみて、各掘とも出土遺物から13世紀後半から14世紀、15世紀に存在したようです

そして、この時期には「戸田の御所」、「ももいの屋敷」、「百の井屋敷」などの名称とともに、桃井播磨守直常の子中務少輔直和の戸田居住説があります、その所在地については、未だ確定されてはいないのですが、南原遺跡がこれらに該当するのではないかと思われます

結論として、南原遺跡には13世紀後半から15世紀に土豪の館、寺院跡の存在が考えられます