入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-⑳

戸田の地に伝わる伝承を当たってみると、渋川氏と戸田の元蕨の関係を示唆するものがいくつかあります

国際興業バスの「上戸田稲荷前」(蕨警察前通りが17号国道に突き当たる所)の西北方に永徳2年(1382年)に蕨様(渋川氏)によって建てられたという”隼稲荷”(はやぶさいなり)があったと言われてます、新編武蔵国風土記稿によればその本地は十一面観世音とされています、足利氏は尊氏依頼十一面観世音を尊んだので、近親である渋川氏が元蕨の地に十一面観世音を本地仏とする”隼稲荷”を建てたのかも知れません

この伝承の隼稲荷大明神の北方には沼があったと云われます、17号国道の改修工事では稲荷前より北方の地下1.5m位のところは腐れ土で難工事であったと言われていますから沼があったのでしょう、この水ぎわに沼の鎮護として隼稲荷大明神が建てられたのかも知れません

ちなみに、この隼稲荷大明神は、明治41年に大前八幡神社第六天社、羽黒大権現社、稲荷木の達磨荷社、山王社とともに上戸田の氷川神社に合祀されました