入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー132

先の史料によると三舟山合戦(伝承史料ではほとんどが鴻の台合戦とする)の時の渋川氏の当主は正清とありますが、これは他の史料や系図には見られません、「板倉家系図」などから、この期の渋川氏当主は義基に比定され、義基の父は義堯、祖父は義鏡でした

それから義基の永禄10年に上総三舟山で合戦が行われ、義基の討死、家臣数は三千ないし三百、従軍の確認される主だったものは塚越・岡田・倉田・鬼・庄野の各氏であったことが推察されます

以上のうち岡田氏は蕨宿開創期の宿役人家として知られ、「岡田家系図」によると、元亀元年(1570年)足立郡に居住し、蕨宿草創期に問屋・名主・本陣の三役を兼ね勤めた正吉の父佐渡守正信が、鴻の台(三舟山のこと・以後同じ)で討死したとあります

小林雅助著『雑記并見聞録』でも、中町岡田家(蕨宿本陣)のこととして、永禄10年、岡田六左衛門は蕨左衛門尉の家老を勤め、正信・正吉・正久・正次の4人が討死し、正重が跡を嗣いだとあります、系図では正吉は寛永3年(1626年)3月没とあり、両史料の間に若干の異同はありますが、岡田家が渋川氏の重臣として三舟山合戦に従軍して一族が討死し、正吉は生存して帰農し、蕨宿の開創に努め宿役人となったのでしょう