入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

◇ 蕨の歴史ー161

太田氏資とともに戦死した武将に「蕨の御所」がいました、「里見系図」義弘の項によれば、出陣した後北条軍のなかに「武州岩月ノ城主太田源九郎ハ、同苗源六兄弟、太田新六、蕨ノ御所并常陸国玉造ノ領主」と共に雑兵5600人にて上総に攻め込んだと見え、次いで8月上旬の三舟山の合戦で破れ、氏資らとともに「蕨ノ御所」も討ち取られたというものです、合戦の日時については、はっきりしませんが「平林寺文書」などにより、8月23日が通説となっています

史料にみえる「蕨ノ御所」は蕨の渋川氏と推定されます、すなわち、永正年間以降に作られた里見家・正木家などの書札礼によれば、蕨の渋川氏は書札礼の世界では関東管領家をも超える存在であり、渋川氏本人宛に直接は出すことはできず、「蕨御宿所」と地名にて書かなければならなかったようです

このことは「里見系図」にも見られ、古河公方家の他には「御所」と使用しているのは「蕨ノ御所」以外にはない、つまり地名と宛名様式から、蕨城主の渋川氏であった可能性が高いのです