2011-08-23 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー162 蕨市内に渋川氏の開基とされている臨済宗の寺の宝樹院があります、この寺には文化13年(1816年)に渋川氏の家来の子孫により造立された蕨城主渋川夫妻の石碑があります 「永禄十丁卯年 寶樹院殿英岳俊公大居士 八月二十三日」 「永禄十丁卯年 龍體院殿自山貞性大姉塔 十二月二十七日」 上記の戒名と共に夫人の竿石の側面には、さらに渋川公の戦死を悲しみ榛名湖に入水したなどの口碑が刻まれています、刻まれている口碑と年月などを総合すると、三舟山合戦で戦死した渋川氏に関するものと考えられます(但し、蕨に残されている伝説の大部分は、蕨城主の渋川氏は千葉県市川市国府台で戦死したとしています) つまり、蕨城主渋川氏は永禄10年(1567年)8月、後北条氏方の武将として岩付城主太田氏資らとともに出陣し上総の三舟山の合戦で戦死したものと思われます