入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー179

岩付落城後の5月24日、浅野長吉は修験玉林院に対し、逃亡者の人返しを命じ治安の維持を約束しています、次いで7月には、浦和市や浦和宿の保護のために禁制を発し民衆の生活の安定を図り、宿場を保護して軍事的・政治的連絡路を確保しようとしています

前述の星野権太兵衛に市場開設を許したのは、これらの動きと関連するものでしょう、なお、豊臣秀吉禁制は岩付城に通ずる鎌倉往還中道沿いの鳩井村(鳩ヶ谷市)にも、同文で出されています

一方、岩付落城前後の渋川氏や家臣団の動きを見ると、一向にその様子が伝えられていません、岩付太田氏の家臣のように対豊臣戦に活躍したとか、戦後、認められて豊臣・徳川氏の関係者に臣従したという者の名も聞かれずまことに不可思議です

察するところ、前述の永禄10年8月の上総三舟山合戦の敗北で城主を失うと家臣団も壊滅的打撃をうけ、その後、蕨城をもり立てることもかなわず、渋川遺臣の多くは他郷へ流れたり、帰農してしまったのでしょう 、戦国時代の武士は主将の運・不運に左右される全く不安定な存在だったようです