入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

イメージ 2

◇ 蕨の歴史ー163

太田氏資の戦死により岩付領を名実ちもに掌中にした北条氏政は、永禄10年(1567年)9月10日、氏資に従って三舟山で戦死した恒岡越後守らの戦功を賞して、遺族にその跡を継がせています

氏政が岩付太田氏の支配体制を継承し、有力家臣をして岩付領と旧家臣団の掌握に努めていることがわかります、また、岩付城は岩付太田氏の一族と考えられる太田大膳亮と太田資正に仕えた春日摂津守景定に委ねています、このように後北条氏は、旧岩付太田氏の家臣団を自己勢力に組み入れて彼らと領民の動揺を抑え、さらに彼らを巧みに利用して領国支配を進めたのです

その間、後北条氏は元亀3年(1572年)正月、一斉に着到を改定し、検地、荒川堰の修築、伝馬制度の整備、鶴岡八幡宮への佐々目郷安堵、他郷の者による竹木伐採の禁止、岩付の渋江鋳物師職の安堵と勝田氏への連雀公事の免除など、軍事力再編成を軸として強力な領国経営を進めました

氏資の死後から氏房岩付入城までは、北条宗家の直接支配を中核に、一族の氏繁、岩付太田氏の旧家臣層である春日摂津守などが分国支配を進めたのです