2010-05-12 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 考古学で読む「日本書紀」 ”武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より ◇ 博物館講座(平成6年2月27日)から 「毛野から上毛野へ」(群馬大学教授 梅澤重昭氏)〈20〉 「この保渡田古墳群の地域というのは、前に申し上げた毛野の中核となった地域から見ると西縁にあたる榛名山南麓に位置しています、井野川の上流域にあたります、むしろ伝統地域という弥生時代からの遺跡のたくさんあった地域なのです」 「つまり、5世紀の中ぐらいには群馬県の西部の地域に不動山古墳をつくった首長が、井野川の下流を中心にして勢力を持っていたのですから、1つの川に沿った形で、上流の保渡田古墳群から下流の不動山古墳までの地域に1つの勢力圏を築いていくと考えられます」 「また、5世紀の中ぐらいには、榛名山の一番南のあたりは火山の裾野ですから、4世紀代の東毛の平野と同じように未開の地域が残っていて、そういう状態のところを切り開いていったことで、5世紀の中頃から保渡田古墳群の一帯が勢力を持っていくという状況があったのだろうと思うのです」