入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月27日)から 「毛野から上毛野へ」(群馬大学教授 梅澤重昭氏)〈21〉

「井野川流域に拠った勢力はどういう勢力かというと、これは5世紀中頃から発展する古墳の主体部に大きな砂岩を刳(えぐ)り貫いて造った石棺に象徴されるといってよいと思います、井野川下流地域の不動山古墳の場合は箱型をしています、大きな石を刳(えぐ)り貫いてつくっていますが、むしろ不動山古墳の場合は刳貫式長持形石棺と言ったほうがいいと思います、そういうものが井出二子山古墳になりますと側部が少し膨らみを持った舟形石棺になります」

「さらに、八幡塚古墳のものも最近の発掘で薬師塚古墳の石棺と同じタイプの舟形石棺とわかりました、もっと西側の碓氷川と烏川に挟まれた前方後円墳の平塚古墳も舟形石棺です、また、大山鬼塚古墳は甘楽郡、富岡の近く鏑川の右岸にある、あまり大きくない、多分、帆立貝形古墳だと思うのですが舟形石棺を持つということです、図Bの刳貫式のグループに入る古墳です」

「ところで不動山古墳は刳貫式石棺ですが、同じ時期に太田天神山古墳と、伊勢崎の御富士山古墳は、組合式長持形石棺です、その小口部分に突起がありまして、さらにその上に溝を切って、そこへ大きな石でつくった板を組み込んだ長持ちのような形をした石棺です」

「しかし、不動山古墳の場合は大きな石を刳り貫いてつくった石棺です、その系統にある保渡田古墳群になりますと、金銅製品が副葬品に加わっています、いわゆる鉄地金銅張りという、金鍍金をした銅板を鉄の上に張り付けたもので、特に馬具類に多いのですが、これは乗馬の風習が入ってくるということです、このような金工技術が多くなってきます」

「また挂甲という小札を綴じ合わせてつくった甲、騎馬用の甲と言っていいのですが、そういう遺物類が出てくるということも特徴です」