入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月27日)から 「毛野から上毛野へ」(群馬大学教授 梅澤重昭氏)〈22〉

「このようなことを考えますと、保渡田古墳群には、不動山古墳の流れを継ぐと思われる井野川の勢力として考える場合、むしろ大陸、朝鮮半島を通した大陸、そういう地域との交流の深い文化というものが非常に顕著にあらわれる状況があるということなのです」

「そのことをどういうふうに理解するのか、これはいろいろな考え方が出てくるだろうと思います、例えば不動山古墳の頃から、毛野の西の地域には渡来系の氏族が入り、力を持っていったのだろうという考え方と、それに近いのですが、頂点に立つ首長は在来の首長で、そういう首長が渡来系の有力者を積極的に受け入れていって、そういう人たちの協力を得て1つの地域圏をつくっていくという考え方もあると思います」

「いずれにしても、5世紀の後半から6世紀の初め、特徴のある前方後円墳というのは、毛野の西の地域では保渡田に、すなわち井野川流域に拠った勢力に限られて造営されるという状況が生まれてきます」