2009-03-27 蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 鳩ケ谷の古を考える 辻字宮地第2遺跡・大字辻字宮地1154-1他地点調査〈5〉 ◇道路状遺構 低地での道路は、築堤であったと推定されることから既に削平されていることが一般です、そのため道路の遺構の検出件数は、極めて少ないようです、しかし、自然堤防上の発掘でわずか幅23mの範囲内に道路状遺構と推定できるものが2基重複して検出されたのは、非常に注目されます 第1号道路状遺構は東西方向の道で、道幅12mを測ります、幅だけをみる限り律令期の官道クラスの規模があります、築造、使用年代は遺物が極めて少ないため、断定できません、後述する第2号道路遺構との重複関係から九世紀以前には存在したものと考えてよいと思います、幅12mの規模や直線的企画から律令体制下の公権力による構築が妥当と考えられますので、八世紀には存在し、八世紀から九世紀にかけて廃絶したと思われます