入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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鳩ケ谷の古を考える

辻字宮地第2遺跡・大字辻字宮地1154-1他地点調査〈6〉

◇道路状遺構

第2号道路状遺構は第1号道路状遺構をほぼ踏襲して側溝間約3m幅(側溝芯々間3、5m)の道路を構築しています、やや揺らぎが認められますが、側溝の方向性やクランクすることや側溝が設けられない部分の存在も認められました

律令体制の崩壊とともに公権力による大規模道路の管理維持が困難となり、九世紀になると道路幅を3~6mに縮小することにより各地域での個別管理が始まります、それによって生じた空き地では、開発領主層の穀物栽培促進と共に旧道路の両側からの無計画な開墾が行われたようです、その結果、これまでの直線的道路は八世紀から九世紀初頭には廃棄されることが、各地の考古学、歴史地理学、文献史学などからの総合的見解となっています、この遺跡では、第1号道路遺構が耕作痕跡と推定できる底面凹凸状遺構に切られる状況がみられるのは、その裏付けとなるものと思われます

路面基盤の構造は、第1号道路状遺構から外れる部分では、地山面を粗掘りした後、黒色土と黄褐色土の混合土を充填、盛り土しています、また、踏襲部分においては、硬くしまった第1号の基盤面をそのまま使用しています、路面構築土と側溝からは、土師器、須恵器小破片が出土していることから九世紀から十世紀の年代と思われます