入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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鳩ケ谷の古を考える

最近の三ッ和遺跡発掘・八幡木2-8-27他地点調査・続

この発掘調査面積は、100㎡ずつ2ヶ所に分かれた200㎡です、そのうちのA区から検出された第2号溝跡は、掘り方が箱薬研様の区画溝と思われ、方向と平面プラン及び覆土の観察などからB区から検出された第9号溝跡とつながるものと思われます、出土遺物は中世から近世の陶磁器類が出土していますが、主体は15~16世紀と考えられます

この第2号溝跡(=第9号溝跡)の方向、掘り方、出土遺物の年代で、同様な遺構が、東方向に近接する八幡木2-6-3他地点(平成6年発掘)の第1号溝跡です、出土遺物の年代も15~16世紀と同様です、この溝跡は直角に曲がる区画溝と考えられ、館の堀とも思われます

更に、B区からはその溝跡に平行するように、年代的にも同時期とみられる第7号溝跡が検出されています、規模的にも第2号溝跡と同じで、掘り方はやはり箱薬研様ですが、陸橋部分が存在するようで、東隅の掘り込みが立ち上がっています、ちなみに、溝を渡る施設としては、平成6年発掘の第1号溝跡の底面に、橋を支える柱を据えたと思われる1対の掘り方が確認されています

また、今回の発掘地点から北東方向240mには、平成2(1990)年の10次調査八幡木1-23の一部地点があります、そこには箱薬研様の掘り方で、陸橋を有する第1・2号溝跡が検出されています、出土する遺物も15~16世紀の陶磁器であることから、今回調査の第2及び7号溝跡と同時代の区画溝と思われます、ただ、主軸方向に若干のずれがあることで、規格性から見て方形区画溝として同一遺構北溝部分とするには、少し躊躇するものがあります