入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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鳩ケ谷の古を考える

これまでに学んできた三ッ和遺跡の総復習・古墳時代前期〈4〉

第10次調査では、住居跡や方形周溝墓で構成される集落の西限を区画するように上幅4m深さ1mの大溝が1条南北に延びており、多数の土師器破片が全覆土にわたり出土しています、この溝は古墳時代前期に廃絶され始め同時に完全に埋没したと考えられます、大溝から出土した深さごとの遺物量の分析から、廃絶当初には廃物の投棄場所は固定していないが、埋没が進む過程で1ヶ所に集中してゆく状況が推定されます

このように、八幡木1~2丁目で確認された範囲での全体構成は、住居跡12軒、方形周溝墓9基、掘立柱建物跡1基、大溝1基です

想像される集落の形態としては、八幡木1-19-4地点の4基の方形周溝墓を取り囲むように南北230m、東西100mの範囲で東の流路跡側に開いた半長円形状に12軒の竪穴住居が分布し、その西に流路跡と平行して集落と後背湿地を区切るように自然堤防側に直線的な大溝が南北に掘削されています、この半円形を呈する住居跡群の80m南側には、八幡木2-5-6地点の大型方形周溝墓と更にその南側30mに4基の方形周溝墓が群在しています、この集落と後背湿地を区切るようにほぼ直線的に延びる大溝は一部が検出されただけであるため、南北の未調査部分において、更に直線的に延びているのか、或いは、いずれかの地点で東に曲がり集落を取り囲んでいるのか、また、その性格は、弥生時代以来の環濠、居館の区画溝、農耕用の用排水路、水害対策防御溝などの可能性が推定されるものの、現段階では、全体的形態が把握できないので、明確にはし難い状況です、なお、第3次調査地の西に接する八幡木1-18-10地点のトレンチ内では上幅1、8mで深さ1m、断面形がV字状の古墳時代前期の遺物を出土した第10号溝跡が存在するが全容は把握できず、この大溝との関係も不明です

八幡木1~2丁目の当地区の集落の広がりは概算40、000㎡に及びますが、全調査地9地点の総調査面積は約5、000㎡で全体の僅か13%と少なく、更に、検討を進めるためには今後の調査の進展を待つ他ありません

三ッ和遺跡では当地区以外に、住居跡が三ッ和1-27-9地点で1軒、方形周溝墓が三ッ和3-8-18地点と三ッ和2-14-3地点で各1基検出されています、三ッ和3-8-18地点の遺構は周溝墓と明言できませんが、三ッ和2-14-3地点の1基は上幅が最大で1、8mで深さ50cmを測り、焼成前底部穿孔の二重口縁壷形土器と器台の台部が出土しました、遺構はその西北の一部が検出されたにすぎませんが、焼成前底部穿孔の壷などの出土遺物から、明らかな周溝墓と判断され、その規模と形状から前方後方形とも考えられます

三ッ和遺跡には、八幡木1~2丁目地区以外にも古墳時代前期の住居跡や盟主的性格を示すような底部穿孔壷形土器が出土した方形周溝墓などが存在していることから、図に示した八幡木1~2丁目に認められるような集落がいくつかあったことが考えられます