入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

米づくりの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる

<稲作の始まりとつたわり>

ー 稲作渡来民と航海 -

帆を使って航海することは、遣唐使紀貫之土佐日記にみられるように、簡単なように感じられるが、実際には非効率であったようだ、天候や季節風に左右され、その知識が必要とされ、船の喫水が浅く舵の利きが弱いと、帆を張っても風に流されるだけで、斜め後方からの風を受けて進むことが出来ない

弥生時代の舟は櫂を漕ぐ人が舟を進め、操舵櫂という舵の代わりの大きな櫂を持った人が、方向を調整しただろうと考えられている、原始的にみえるが、帆船の航海に比べ櫂で漕ぎ進む方が案外速かったのだろう

民俗学者宮本常一は、「古代人は川も海も区別なしに舟によって往来したのだろう、夜は舟を陸に上げて、宿泊したのであろうし、漕ぎ手が担いで陸揚げできる程度の大きさの舟が都合がよかったのだろう、海から進入して川をさかのぼるにも、大きくない舟が適当であったろう」と言う

底の浅い丸木舟の長所は、河川の浅瀬をさかのぼるときにも、舟から降りて舟を引いたり、担いだりすることができることのようです、稲作渡来民は、外海から湾や潟に入り、丸木舟を乗り換えることなしに川をさかのぼって入植したようです、天候不順のときや嵐のときは、丸木舟を陸にあげて避難したのであろうし、また、航行の後には、その舟を潟や川での漁労に使って、渡海した人々はすぐに生活の糧を得ることができたようです、これらのことを考えると、櫂で漕ぎ進む舟が原始的に見えても利点が多かったようです