入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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米づくりの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる

<稲作の始まりとつたわり>

ー 稲作渡来民と舟・続 -

前後に舟を結合した遺物は、1878年大阪市浪速区鼬(いたち)川で出土した丸木舟がある、遺物は第2次世界大戦の戦災で失われたが、その写真がある、この舟の残存した部分の長さは11.5メートルで、約3分の1のあたりで前後がつながれていた、船底の1方の端を下方に突出するように削り、他方には切り込みを付けて上下にかみ合わせ、その上から縦に長い1本の木材を置いて前後の船体を結合し、それにその上から横に4本の短い材を直角に並べて締め付けた巧妙な構造によって、長くなった舟で折れ曲がりの力の働くところを堅牢にしている、接合部の長さは、1.8メートルで、結合部には樹皮を用いて空隙を充てんして漏水を防ぐ「マキハダ」の使用が認められている(マキハダは乾燥した充填材料であり吸水すると隙間をふさぐものである)材料はクスノキであった

1917年にも大阪の東成区で前後をつないだ舟が出土し、接合部は鉄クギと木クギを使ったものであった、また、天保9年(1838年)に発掘されたクスノキの丸太舟は3ヵ所をカンヌキ状の丸太によってつないであった