入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

鳩ヶ谷地域の変遷-4

常緑広葉樹林帯が広がる鳩ヶ谷支台は、桜町の法性寺⑪の林相に見られるようにスダジイシラカシ・アカシデ林などが繁茂していたと考えられます、この台地に人々が住むようになったのは今から1万数千年前と思われ、浦寺⑫地区から旧石器などの遺物が発見されています、近くを流れる江川が削り取った渓谷が人々の生活環境に適していたようです

一方、低地の状況は、氷河期が終わる今から約7~6000年前から、海水面が上昇しはじめ、ちょうど現在の台地部分を残して海の中に沈みました、その後気温がやや低下したことなどにより、海岸線は台地から離れましたが、縄文時代後期前半の約3500年前に再び海面がやや上昇し、古期入間川の河道およびその後背湿地は水面下となりました

こうして現在の自然堤防の地域が陸地となって人々が住み、台地の周辺に干潟ができ、鳩ヶ谷近くでは赤山貝塚⑬や石神貝塚などが残されました、今から約2500年前にはさらに海岸線が後退し、この地域から人々は去っていきました

再び鳩ヶ谷に人々が生活するようになったのは、約1800年前の弥生時代後期になってからです、稲作の技術の伝播と共に低湿地に水田が広がり、台地や自然堤防に集落が形成されました、また、浦寺の台地の縁辺部⑭でも稲作が行われましたが、こうしたドブッ田と呼ばれる谷津(やつ)田での稲作は、1960年(昭和35年)代まで続きました

水は台地の端から湧き出るドイ(湧水)を直接引きこまず、いったん温度を上げながら利用し、種籾をそのまま水田に播く直播(じかまき)が行われていました