入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

神根地域の変遷ー4

4-1図に見るように、明治初期には台地上は山林と畑として利用され、開折谷の谷津は水田として利用されていました、台地上は総じて稲・麦などには適さず、サツマイモ・ショウガなどに適した地が多く、薪は十分にあったが、炭は乏しく、また、水利が不便で、時として旱魃に苦しみました、比較的低いところの畑はシマなどといい、大麦・サトイモ・ショウガなどが作られ、高い所の畑はダイ・ノガタなどと呼ばれ、主に大麦・サツマイモが作られていました

一方、ドブッ田と呼ばれる谷津田は、現在まったく見られなくなりましたが、赤山や神戸・東内野⑨付近にあり、藁灰を種籾にまぶしてツム(摘む)直播きで稲作が行われていました、植田に比べ収穫も少なく、除草にも倍の手間がかかったと言われます、東内野では第2次世界大戦前まで行われていましが、戦後はポンプで水を汲み上げ、植田に変わっていきました

この台地上での人々の生活は、古く旧石器時代にはすでに始まっていました、縄文時代になると集落ができ、その遺跡も多数分布しています、石神貝塚・赤山陣屋跡遺跡の貝塚の位置から、約6000年前の縄文海進期には海岸線が台地近辺まで侵入していたことが知られています