入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

神根地域の変遷ー5

神根地域の西端を南北に流れる芝川⑩流域には芝川低地と呼ばれる沖積低地が広がっています、低地の標高は4~6mで、芝川右岸の在家(ざいけ)⑪付近と根岸⑫付近の古期入間川の流域に沿って自然堤防が見られます、また、台地の縁を縫うように見沼代用水(東縁)⑬が流れ、用水右岸の水田の灌漑に利用されています

自然堤防上に従来から集落が発達している様子は4-1・2・3図からも読みとれます、在家という中世的な地名からも、この自然堤防上で人々の生活がかなり早くから営まれていたことがうかがえます

1960年以前は低地の大部分は水田として利用されていました、明治初期、低地の耕地は稲・麦の耕作に適し、水利の便もよく、在家や根岸では耕作舟も多数利用されていましたが、年々水害にも悩まされました、1910年(明治43年)の洪水では、低い所の家は天井ぐらいまで水に浸かりました、水はなかなか引かず、所によっては1ヵ月あまり水浸しになったと言います

しかし、1965年(昭和40年)に下流に芝川方水路ができ、水門も整備されたことで現在では心配はなくなりました、また、水田の用水には見沼代用水が利用され、排水は芝川に流れるようになりました