2012-04-26 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史 神根地域の変遷ー6 この用水路は、1629年(寛永6年)、関東郡代伊奈忠治によって見沼用水として開削されました、伊奈忠治は見沼を八丁堤で締切り、溜井として造成し、そこに東西2ヵ所の取水口を設け、台地縁に用水路を下流に引き芝川を悪水(雑排水)路としました、その後、下流域では開発が進み、しばしば用水不足となり溜井を干拓し、代わりに利根川から用水を引き入れることになりました 1728年(享保13年)に代官井沢弥惣兵衛によって見沼代用水として整備され、1731年には閘門(こうもん)式運河である八丁堤の通船掘も完成し、舟運も行われるようになりました、この用水路の整備により生産もより安定したものとなり、さらに見沼通船によって生産物の輸送も可能となりました