入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

神根地域の変遷ー7

神根の地名は1889年(明治22年)に12ヵ村が合併して「神根村」が誕生した時に始まります、村の名称は規模の大きな石神村⑭と村役場を置く神戸村⑦の「神」をとり、規模の最も大きい根岸村⑫の「根」をとり「神根村」となりました、そして、それまでの村名は大字名として地名に残りました

神根村となる以前には、この地域一帯は赤山領と呼ばれていました、1618年(元和4年)関東郡代となった伊奈忠治が領地を拝領し、赤山⑮に陣屋を築いたため、この周辺の伊奈氏領を赤山領と称するようになりました

赤山陣屋は、周囲を自然の掘りに囲まれた構内11万平方mに及ぶ広大なもので、陣屋内外の道は城下町に見られるT字路や直角に曲がる鍵の手に作られていました、また、陣屋の南にある源長寺⑯は伊奈家の菩提寺として創建された寺院です

日光御成り道⑰沿いの赤山新町は、陣屋地にあった家を移築して造られました、4-2図の赤山にある「陣屋敷」①「曲輪(くるわ)」⑱はこの陣屋の跡地であり、石神(新町)の沿道の家並はこのときに原型が作られています、この赤山陣屋の広大な土地は徐々に周辺の農民に払い下げられ開墾されました、二の丸・富田屋敷が1714年(正徳4年)赤山から分村して赤芝新田⑧になり、陣屋敷内にある山王前の沼地が開墾され、山王前沼新田となりました

赤山には、今でも赤芝新田が開発される以前にあった沼の大蛇の伝説が残され、伊奈家と沼の開発にまつわる話として興味深いものがあります

1792年(寛政4年)伊奈氏は改易となり陣屋も廃止され、跡地は御林となりました、また、この時源長寺に伊奈が寄進した土地も幕府に取り上げられました、4-2図に見る「源長寺上知」⑲はこの時、幕府に取り上げられた地域にあたります