入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

川口・明治13年フランス式地図

川口・鳩ヶ谷の地形は、台地と低地に大別できます、関東平野ではこうした地形の組み合わせをとる地域は珍しくありません、しかし、川口・鳩ヶ谷地域の場合、大宮台地の南東端にあたり低地も荒川・毛長川・中川の下流沖積地帯に位置することが特徴となっています

川口市の”川口”は荒川(旧中期入間川)の昔の河口(縄文時代後期ころまで東京湾が進入していました)の意であると言います、また、鳩ヶ谷市の”鳩ヶ谷”についても台地末端部の谷津(やつ)の地形から起こったものと推測されます

台地は地域の北部に位置します、大宮台地のうち鳩ヶ谷支台と呼ばれ、その標高は最も高い川口の木曽呂、神戸(ごうど)、東貝塚付近で20メートルほどですが、低地に臨む崖面では10~15メートルとなっています、しかし、周辺から台地を刻む小規模な谷が侵入していているため、全体としてはきわめて起伏に富んだ地形となっています、台地面は火山灰起源の関東ローム層によって覆われ、したがって土壌も火山灰を母材としたものが大部分を占めています

各地域の発展のあり方を見てみますと、明治の初めでは、どの地域も人口は5千人前後でほとんど差がみられなかったのですが、1910年(明治43年)に川口駅ができ、1923年(大正12年)の関東大震災のあと東京からの人口流入が大きな契機となって開発、拡大が進みました

人口も明治末~大正期に、いち早く、川口・南平柳地域が増加し、横曽根・青木地域が続き、ベットタウン化の萌芽が見られます、一方、神根、新郷、安行、戸塚地域では人口の増加の時期が大幅に遅れました、つまり、人口の増加が地域的には南から北へ、また西から東へと展開してきたことを示しています

また、これは行政地域の拡大・再編の動きがそのまま物語っています、まず、1933年(昭和8年)、川口町と南平柳村横曽根村青木村の1町3ヵ村の合併があり、市制を施行しています、そして、1945年(昭和20年)には芝村、神根村、新郷村、鳩ヶ谷町も併合しています、戦後は1950年(昭和25年)に鳩ヶ谷町が分離しましたが、川口市は1956年に安行村、1962年には美園(みその)村を加えて拡大・発展を遂げています(その後、2012年に鳩ヶ谷市川口市と再合併しました)