入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

芝地域の変遷ー6

小谷場村は芝村の西に位置し、江戸期には旗本安西氏の知行地でした、西部は大宮台地の南端に位置し、東部は低地で西縁用水が村の東を通り、この村で二つにわかれていました

伊刈村は芝村の東に位置し、江戸期には初めは幕府領、のちに幸竜寺・善性寺(いずれも東京都台東区)の寺領でした

柳崎村は伊刈村の北部に位置し、大宮台地の南端に位置する部分と低地からなり、江戸期は幕府領でした

芝地域は、集落の中心まで中山道の蕨の宿駅から2kmほど入った所で、明治初期までこの地域内では馬道と呼ばれた2間道がわずか3本通っているに過ぎず、荷車が通るようになると、だんだんその狭さを感じるようになりました、また、道路事情も悪く、特に往来の激しかった羽尽神社付近⑫は雨天下では下駄ももぐると云われました

江戸期から明治期にかけては道路と並んで舟運も重要な交通手段でした、見沼代用水はもともとは感慨用水として開かれたものですが、享保年間に芝川との間に通船掘が設けられたことにより、利根川・荒川・芝川などを結ぶ運河としても利用されるようになりました、1874年(明治7年)には、見沼通船会社が設立されるなど、舟運は重要な役割を果たしていましたが、鉄道の開通によって明治後期以降は衰退していきました

鉄道は、日本鉄道株式会社により東北線の川口ー熊谷の工事が始まったのが1882年(明治15年)、青森までの全線が開通したのは1891年(明治24年)です、蕨駅が設けられたのは1893年であり、この時以降、鉄道が当地域の交通に重要な役割を果たすようになりました、3-1図では一部の図幅に東北本線の鉄道が見られますが、まだ、蕨駅は見られません