入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

芝地域の変遷ー7

国全体の近代化が進む中で、純農村地帯であった芝地域も様々な形で近代化の施策が進められていきました、1889年(明治22年)には芝・小谷場・伊刈・柳崎の4ヵ村が合併し、新たに芝村が発足しました、役場は1935年(昭和10年)に新たな建物が建設されるまで、芝地区の集落の中心にあった慈星院⑬の境内に置かれていました

また、1873年(明治6年)芝小学校が設立され、1878年に現在の敷地に本校舎が建築されました、大正末期の姿を表した3-2図では、こうした役場や小学校の記号が、芝地区の集落の中に見られます

この時期の農業の近代化事業としては、ほとんど全村にわたって行われた耕地整理が挙げられます、1908年(明治41年)から1914年(大正3年)にかけての耕地整理組合による土地改良工事により耕地面積は拡大しました、耕地整理の姿を表した3-2図では、整然とした耕地の境界が見られます

そして、時期を同じくして道路の整備も進められました、1893年(明治26年)に蕨駅が開業しましたが、1899年、まず蕨駅⑭から樋之爪⑮に至る道路が開設されたのを始め、その後、耕地整理によって、蕨・大門県道、蕨・鳩ヶ谷県道の新設、大宮・川口線の新道開設などが進められました、3-1図と3-2図を比較すれば道路網が整備されていった様子がよく分かります

その後、1940年(昭和15年)、芝村は鳩ヶ谷町・新郷村とともに川口市編入されることとなりました、戦時体制の下、川口市が鋳物工業を中心とする重工業都市として発展していく中で、隣接町村を一体とした総合的生産都市の構想を真剣に考究しようとする戦時的要請に基づくものでした、これにより地図上から芝村の地名は消えることとなりました(3-3図)