入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー139

佐々目郷は正応6年(1293年)から建武2年(1335年)にかけて、4回にわたって鶴岡八幡宮に寄進されています、社領の寄進者は、佐々目郷領家方の場合は建武2年に足利尊氏から座不冷(ざさまさず)料所として寄進されたことは明らかですが、その他については「御寄進」という敬語表現されていること、及び足立郡鎌倉時代後期に得宗領だったことなどから判断して鎌倉幕府または北条家によりその折々の祈願成就の報として寄進されたものでしょう

明徳3年(1392年)南北朝の統一足利義満の力によって実現し、政治史の局面が一転した直後の応永元年(1394年)以降、鶴岡八幡宮領である足立郡佐々目郷・矢古宇郷・上総国埴生郡佐坪郷は、郷内農民による年貢減免闘争が激しく展開されていきました

これらに対し鶴岡八幡宮は佐々目郷の百姓らは近隣の悪党らと手を結び、彼らを郷内に居住させて抵抗しているとの風評があるので、首謀の百姓15人の交名を提示し、彼らの鎌倉への出頭を厳しく命ずる書き下しを発しています

ここで注目されるのは年貢減免闘争を展開する農民たちが、闘争の輪を郷外まで拡大し、近隣の悪党と連携して闘争を行っていることです、さらに、交名に挙げられた農民たちが「入道」「法師」を名乗る郷内上層農民であって、彼らをリーダーとする中下層農民の結束がうかがえること、交名に挙げられた農民たちの肩書きを見ると、そのほとんどが二十五坊の供僧との個別的・人身的結びつきが考えられること、また、鈴屋(谷)・禰宜(根木)橋・美女木・沼影など今に残る地名が見え、首謀農民の居住地が分かることです