2011-09-14 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー184 ◎ 芝郷 芝郷は資料においては「芝阜(しばおか)」「芝丘郷」「柴之郷」とも書かれており、現在の川口市芝地区を中心にさいたま市南部と蕨市を含む地域と推定されます、年不詳12月3日付関東公方足利氏満挙状には二階堂道廉妻藤原氏の所領として「足立郡芝郷内地頭職号女子方」とあり、また芝郷にある臨済宗大智山長徳寺の関係者として二階堂遠江守の名が見えており、芝郷と二階堂氏との関係がうかがえます 戦国期には岩付太田氏の支配下にあり、内山氏の所領としても見えます、また、文明9年(1477年)閏正月6日銘の坂東巡礼札(足利市鑁阿寺ーばんなじー本堂出土)には「武州足立郡芝丘郷蕨村」とあって、蕨村の文字が見えています ◎ 佐々目郷 現在の戸田市西部からさいたま市南西部、さらに蕨市の西部にかけての地域で、現在も戸田市に笹目の地名が残っています、この地に関しては鶴岡八幡宮の社領として鎌倉時代から歴史上に登場し、室町時代には年貢減免を求める農民闘争が起こっています、中世のほぼ全期間にわたってその状態が知ることができる郷です