入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー140

度々の年貢減免要求などの農民強訴という不穏な動きに対して、緊急かつ統一的な対応を迫られますが、各坊の供僧らの足並みはなかなか揃わず、支配の動揺は鶴岡八幡宮側の紛争解決能力が失われていくことを示しています

このため、鶴岡八幡宮側は守護権力に依存して農民らを弾圧しようとしました、これに対し農民らは一方では逃散(ちょうさん・耕作地を放棄し他へ逃亡すること)という闘争手段をとり、他方では粘り強く交渉を続けます

この結果、鶴岡八幡宮の佐々目郷支配は大きく動揺し、ほぼ農民側のペースで展開されることになりました、同宮の政所の責任者である交文(くもん)は度々改められ、応永7年8月には豊島氏の一族と思われる豊島左近蔵人入道道頭を任命し、その武力で農民を押さえつけ、年貢納入の安定確保をはかりました

従前は政所代による在地管理が行われていたため統制力に乏しく、年貢徴収も思うにまかせなかったので、近隣の有力国人領主を任命したのです、しかし、このことは反面同郷の実質支配権を国人領主たちが次第に掌握することになり、相対的に鶴岡八幡宮の支配力を低下させることになりました