入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー138

佐々目郷は、現在のさいたま市南西部から蕨市西部の一部を含め、戸田市南部にかけて広がる中世の郷です、中期入間川左岸の沖積平野部に位置し、かつての入間川の乱流による沼沢地と思われる標高3m前後の低地が展開するなかを標高4~5mの微高地(自然堤防)が南北に樹枝状に延びている地です

このため水利に恵まれ、古くから開発の手が加えられていたらしく、郷内には南北にいわゆる「鎌倉街道」が貫通していたと伝えられています

鶴岡八幡宮に寄進された佐々目郷は、社務組織を構成する別当と25人の本尊供僧(ぐそう)によって支配されていました、供僧は各々住坊を持ちその坊名をもって呼称され、総称して二十五坊と言っていました、その成立は建久年間(1190~99年)です

二十五坊の供僧は寄進をうけた社領をくじ引きにして配分され、それを「分田」と称して各々分田帳に登録されて所有関係を明確化していました、このような土地支配方式を「分田支配」と呼んでいます、二十五坊はくじ引きによりその番号ごとに土地を分割支配していましたが、同時に二十五坊は各一人宛ての農民を個別に把握しており、一坊=一番(分田)=一農民という支配体制をとっていた云います