入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より 総習[14]

鈴に関しては、甘粕氏説で取り上げた「鈴鏡」の東国における分布が注目されます、なかでも、画文帯神獣鏡の分布と重なるように現れる鈴鏡については、単なる偶然ではない背景が存在するように思われますが、さらに、環鈴・鈴杏葉・鈴釧等の鈴付銅製品の分布も含め、注目するべきでしょう

古海原前1号墳と同鏡式の鏡を出土する栃木県・雀宮牛塚古墳では四鈴鏡3面(同笵鏡)と五鈴鏡1面の他、環鈴・五鈴杏葉・鈴釧が出土しています、また古海原前1号墳に近い高徳寺東古墳では環鈴と鈴鏡が出土し、別に大泉町大字古海出土とされる「椅子に坐り鈴鏡を下げる巫女形埴輪」が存在します、似た例では画文帯神獣鏡・三環鈴・鈴杏葉を出土し「腰に鈴鏡を下げる巫女形埴輪」をもつ稲荷山古墳があげられます、さらに、稲荷山古墳と同鏡式の画文帯神獣鏡を持つ八幡観音塚古墳でも五鈴鏡が伴っています

画文帯神獣鏡の分布を抜きに、鈴付製品を追ってみると、前述の上・下毛野と北武蔵の範囲を越えて南武蔵にもその範囲が及びます、野毛・御岳山古墳の七鈴鏡、狛江亀塚古墳の鈴釧、田園調布・西岡第28号古墳の六鈴鏡があげられます、上毛野では、保渡田薬師塚古墳の鈴杏葉・鈴付鏡板、安中市・後閑3号墳の鈴鏡、太田市・塚廻り3号墳の「椅子に坐り腰に鈴鏡を下げる巫女形埴輪」、高崎市・綿貫観音山古墳の三環鈴、総社二子山古墳の鈴釧が、北武蔵では、伝三千塚古墳群出土の「椅子に坐り腰に鈴鏡を下げる巫女形埴輪」等が加わります

これらのことがみられるのは「雄略の規制」開始から6世紀末までと考えられ、画文帯神獣鏡が副葬(八幡観音塚古墳例のように伝世されたと考えられる例も含め)される時期と重複します、もしこの時期が「雄略の規制」によって始まった国家再編にかかった期間と一致するとしたなら、八幡観音塚古墳に画文帯神獣鏡が副葬されたことは、鏡の伝世の必要性をなくすという重要なポイントを示していると考えることができるかもしれません、そして、この期間こそ「県主」を「国造」へと組替える段階であったとみるべきなのかもしれません