入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

イメージ 2

考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より 総習[15]

古墳の築造企画を駆使した飯塚卓二氏の説によれば「群馬県高崎市・平塚古墳は、埼玉稲荷山古墳の相似墳と考えられ」、八幡観音塚古墳、高崎市・岩鼻二子山古墳と共に「八幡古墳群を形成し、東山道の関門に位置している」としています、そして「平塚古墳の被葬者が、埼玉稲荷山古墳被葬者と密接な関係に、すなわち同盟(同族)関係にあったとすると、観音塚古墳出土の画文帯神獣鏡が埼玉稲荷山古墳出土の画文帯神獣鏡と同笵であることが注意されてこよう」と述べています

そして「埼玉稲荷山古墳の同盟者(同族)者は、東山道の関門と、かって太田天神山古墳の被葬者が直接の基盤としていたと推定される太田市街地付近から利根川にかけての肥沃な地域をおさえ」「かっての毛野の中枢部が制圧され、新秩序が形成されていた」と考えています

さらに、稲荷山古墳の金象嵌銘鉄剣にふれ「仮に埼玉稲荷山古墳の被葬者がヲワケかその一族であるならば、おそらく彼は大王雄略の命によって毛野の制圧に赴き、毛野の一角であった埼玉に本拠地を築いた」と想定しています