2009-01-17 蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る 考古・歴史 #埼玉県 鳩ケ谷の古を考える ー鳩ケ谷付近の地形および河川の流路変遷・続ー 荒川低地と中川低地の名称は、両河川によって形成されたことを意味するものでなく、近世以降の河川改修などを経て、現在、両低地を流れる代表的な河川の名称を冠したものです、現荒川低地を流れる荒川は秩父にその源を発するが、古くは利根川の一支流でした、もともと、その本流の利根川は、妻沼低地から現荒川低地へ向けて、荒川そして下流の入間川を加えて流下し低地を形成してきましたが、その後、利根川が入間川合流地より上流で荒川と共に大宮台地北部を横切り、東側の加須低地から渡良瀬川水系が流れる南の現中川低地方面へ流れを変えました その理由は、加須低地一帯の沈下や流下物の堆積作用によるとされています、以来、現荒川低地には入間川水系が流下することになりました、中川低地では、荒川が現在の元荒川筋を流れ、両者は下流の吉川市周辺で合流して現東京低地を南下して海に流入していました