入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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川口の古を考える

戸塚三仏寺遺跡第5次~第8次調査・大字戸塚字下台4696他地点 [2]

第5次調査A区では、縄文時代早期・後期と思われる土坑が東側と西側にまとまってあり、西側は大型の土坑が多くみられます、B区では平安時代の住居址2軒が南側に傾斜するところに検出されました、第6次調査東側では第2次調査東側調査区で検出された縄文時代早期条痕文期の炉穴・土坑等が検出され、西側では平安時代の住居址1軒、中世の溝状遺構・土坑が検出されています、平安時代の住居址は第5次調査B区で検出されたものと同様に、斜面部に構築され、時期も同じと思われます、また、中世城館に伴うと思われる土坑・溝状遺構も検出されています

第7次調査では縄文時代早期条痕文期の住居址4軒、炉穴20基、土坑等が検出されて、炉穴は第2次調査同様たこ足状炉穴です、第8次調査では縄文時代の遺構は少なく、中・近世の土坑・溝状遺構・地下ムロ等が多く見られます

各調査全般で縄文時代早期をみると、台地平坦面に住居址が構築され、その外側に炉穴群、更にその外側の台地縁に沿って土坑が構築されているといった形態が確認できるようです、

平安時代に関しては、第5次調査B区・第6次調査西側において住居址3軒が検出されています、この調査区は隣接しており、いずれも南側斜面地に構築されるという共通点がみられます、それぞれ竃(かまど)を有し、各住居址内からは特筆すべき遺物が出土しています、第6次調査住居址からは非常に大型の甕(かめ)が出土し、市内で出土する規格的なものと比べ、器高・口径が約1・5倍、容量では約3倍相当のものです

また、第5次調査住居址から出土した内面に黒色の付着物が見られた土師器坏は墨を製作する際に使用したと考えられます、他にも当住居址からは転用硯が2個体出土しています、これらはいずれも台地平坦面に検出され、9世紀を中心とするものと考えられます

中世に関しては、第6次調査において溝状遺構・土坑が検出され、第7次調査において土壙(こう)が25基検出されています、当地区は三仏寺の前身とされる館跡の存在が知られており、第7次調査において検出された土壙の構築されている個所は当時の館跡の墓域と考えられます、この土壙群はその東側に構築されている溝状遺構沿いに検出され、この溝状遺構は墓域を区画するためのものなのか、城館を巡る溝なのか検討する余地のあるところです