入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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川口の古を考える

戸塚三仏寺遺跡・大字戸塚字下台4642・4741他地点 [2]

この第2次調査では、旧石期時代の遺物、縄文時代の住居址2基、炉穴13基、土坑58基、集石1基、柱穴群6基、多数の柱穴が検出されました、また、中世のものとして土坑7基、柱穴群2基、溝状遺構4条、柱穴が検出されました、第3次調査では、縄文時代の土坑12基、柱穴、近世期のものとして土坑10基、柱穴が検出されました

両調査を通じて中心となるのは、縄文時代早期であり、様々な遺構が検出されました、これらの遺構は、主に第2次調査東側調査区南側に集中しています、このことは縄文時代早期の集落の中心は三仏寺遺跡内でも台地が張り出した先端中央部にあると云えるでしょう、この東側調査区南側から検出された遺物の殆どが早期条痕文期のものです

住居址2軒は調査区南側に確認され、炉穴・土坑があるところと距離を保ちながら構築されています、このことは居住空間と煮炊き・作業をするところが意図的に分かれていたことが考えられます、住居址はしっかりと堀り込まれ、その内部には炉跡は確認されていません、炉跡は切り合い関係や数箇所見られる焼成部から数時期に使用されていたようです、縄文時代早期の集落を構成する住居址・炉穴・土坑・集石・柱穴群が数時期にわたり、遺跡の台地に形成されていたのでしょう

中世の遺構は、主に第2次調査西側調査区に確認されています、中世の館跡とされている三仏寺にはかって土塁が残っており、三仏寺に隣接する北側の調査においては、溝状遺構・整地遺構等が確認されています、今回の調査箇所は館跡の南側(前面)の位置にあたります、区画のためと思われる溝状遺構や柱穴群が検出されました、柱穴群は建物跡であり、2棟あったようです、館の中心部より前面には建物群が建ち並んでいたことも判りました