2009-02-27 蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る 考古・歴史 #埼玉県 鳩ケ谷の古を考える 前田字六反畑第1遺跡・南4-25-1他地点調査〈10〉 ◇復習ー3 【十世紀後葉~十一世紀】 この時期の遺構としては、第2、3井戸跡と第3、4、6、7、8号土坑があります、井戸跡は2基とも円形の素掘り井戸です、周辺には上屋に関連する小穴や排水施設の遺構などは検出されていません、両井戸跡とも祭祀と関連する土器の出土状況が認められました、第2号井戸跡では、底面近くで完形土器が伏せて単独で出土しています 一方、第3号井戸跡では、井戸内の堆積土がある程度溜まった段階で、口縁部を打ち欠いた小皿が中央部に投じられています、いずれも覆土上層には、土師質土器各種の破片が多量に混在しています なお、第2号井戸跡からは、高級磁器である舶載白磁碗の小破片が出土していますが、年代は9世紀後半です 【特殊遺物】 この調査では、高級陶磁器と横櫛の出土がありました、高級陶磁器では、舶載白磁碗と緑釉陶器三足盤の破片がそれぞれ1点づつ出土しました、白磁碗は、荊州系白磁とみられ、9世紀後半にあたります 緑釉陶器三足盤については、日常一般に使用するものでなく、供物用食器の要素が強く、その出土例は、埼玉県はおろか古代武蔵国においても、これまでに報告はないようで、東国では皆無に等しいようです、本遺跡のものは、畿内で生産された優品で、9世紀後半に搬入されたようです、元来、高級陶磁器は、官衙・寺院跡を控える大集落から出土する例は知られますが、単なる1集落からの出土は非常に珍しいようです 横櫛は本遺跡では、3点が井戸跡からまとまって出土していますが、平安時代の出土例は古代武蔵国内では2遺跡3例の報告があります、さいたま市寿能泥炭層遺跡の1例、東村山市下宅部遺跡の池状遺構からの2例です、いずれも祭祀として認識できる出土状況です