2009-02-26 蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る 考古・歴史 #埼玉県 鳩ケ谷の古を考える 前田字六反畑第1遺跡・南4-25-1他地点調査〈9〉 ◇復習ー2 【九世紀末~十世紀前半】 この時期の遺構としては第1号井戸跡があります、この井戸跡は正方形の縦の1枚板を側板として使い、横桟木で固定する縦板木組構造です、周囲からは、これに付随する構造物の痕跡は認められていませんが、井戸跡の出土遺物から、5回の祭祀状況がみられます 1回目は、井戸底への「有」と「大?」と墨書きされた完形土器の投げ入れです、井戸構築時の鎮めと水枯れのないようにとの祈願をしたものと思われます 2回目は横櫛の投棄です、櫛には古来より強い呪力が宿るとする信仰があったようで、8世紀以降の井戸跡からの出土例が多々みられます 3回目は、ある程度堆積物が溜まった段階で、打ち欠き土器と完形土器の2枚重ねセットの投げ入れです、打ち欠き土器は転用硯としていた須恵器坏で、口縁部を打ち欠いたものです 4回目はモモの核の集中出土でわかる祭祀です、生活水に対する疫病祓い的行為が行われたようです 5回目は、井戸底から1mほどの位置への、口縁部を細かく打ち欠いた長頸瓶を倒した状態で置いた儀式のようです、井戸の堆積が、大分進んだ段階での祭祀であることから、井戸廃絶時の鎮めの行事とも考えられます 祭祀にかかわる土器の年代から、井戸が機能していたのは、9世紀後葉から10世紀前葉頃までと考えられます、なお、覆土上層からの出土遺物は、ロクロ土師器破片が主ですが、当時高級陶器として扱われたであろう緑釉陶器三足盤破片が投棄されていたことが注目されます 第1号井戸跡と関連する遺構として第3号溝跡があります、水場と排水施設の関係にあるものと考えられます、第3号溝跡は、度重なる掘り返しがあり、北から南方向へ20cm程度の比高差が認められ、井戸からの排水溝であったようです