入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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鳩ケ谷の古を考える

これまでに学んできた三ッ和遺跡の総復習・鎌倉室町時代〈3〉

前に述べた2地点に近い調査地として、東南20mとさらにその南30mの三ッ和2-19-2他地点があります、第7次調査地では中世の遺構は、隅丸方形の遺構の一部と見られる溝跡1条と元亨元年(1321)銘の板碑片が検出され中世末のものと思われる井戸だけであり、小穴検出率は0、28基/㎡と多くはありません、また、さらに南の三ッ和2-19-2他地点は調査面積が142㎡と狭く、この調査の結果だけでは単純に比較できませんが、中世に関する遺物として3基の小穴から15~16世紀の古瀬戸平碗、天目茶碗等が僅かに、また、近世の井戸跡から板碑片が1点出土しただけです、小穴の検出率は0、89基/㎡と多いのですが、中世の遺物と遺構が濃いとは決して言えません

従って、第6・9次調査地区に館跡的性格を認めるならば、その範囲は、南北60m前後になりそうです、また、第6次調査では、中世のいわゆるT字形の火葬跡が1基検出されましたが、その北東4mの地点の第9次調査地内で焼土集中部分が認められ火葬跡の可能性が指摘され、複数の火葬跡が集中分布していたとも思われます、この焼土集中部は第9次調査地の西南端を走る第15溝号内に検出されています