入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

鳩ケ谷の古を考える

これまでに学んできた三ッ和遺跡の総復習・奈良平安時代〈2〉

第3次調査地では、遺構検出面となる黄褐色の地山よりやや浮いた状況で、土師器や須恵器の杯や皿が一括出土し、その分布範囲下には特別な遺構は確認できませんでした、また、一括出土範囲の北に接するように位置する第15号土坑の覆土には焼土や炭化物を多量に含み火を焚いた跡が明らかに分かります、この土坑の規模は、北の一部が調査区外にあり完堀はできていませんが、南北に長い長円形で短径1m・長径は推定で1、5m・深さは地山上面から0、5mです、土師器焼成土坑とも思えるような土坑ですが、一括出土遺物に須恵器などが混在するので疑問もあり、火を焚いた祭祀的行為も想起させます、いずれにしても、南に接する一括出土遺物群との関連性が注意されます

同時代の地山から浮いた状態で遺物が出土した例は、この第3次調査地の南150mの第2次調査地でも認められています、地山から僅かに浮いて25個以上の有高台の赤焼きの須恵器ともいえる土師器杯を合口にして埋納したような状況で出土しています、出土範囲の下には僅かに地山を堀り込むような浅い土坑が認められています、両調査地共に遺構確認面より上面に位置する遺物出土状況や第15号土坑の土層断面からも当時の生活面は地山確認面より上部にあったことは間違いないようです、浅く広い土坑を堀込んで、祭祀的な行為を行い、埋納あるいは投棄したのでしょうか